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リア充でもオタクでもない、ぼっちで冷めた自分

リア充でもオタクでもない、ぼっちで冷めた自分

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ウェイウェイ騒ぐリア充。ブヒブヒ騒ぐオタク。

その集団を遠く離れた陰から見つめる、何者にもなれない冷めた自分


 

リア充:現実が充実している人
オタク:現実以外の何かに熱中している人

のつもり。

 

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僕はリア充になれない

記事:大学生だけど、テンションが高い人間が理解できない

自分はリア充にはなれない。それは高校生の頃に悟った。

飲み会、カラオケ、ボーリング、バーベキュー、合コン……。

よくわからないノリを全力でやり、ウェイウェイ楽しむ彼ら。僕にはそれの何がどう楽しいのかが分らなかった。

イケてる集団に所属しているという優越感?
ノリさえ良ければ受け入れられる安心感?
無駄にカロリーを消費することで得られる充実感?

リア充たちと接し、彼らを理解し同化しようと試みた高校時代。しかし、僕は彼らとの根本的な違いのようなものにぶち当たった。

思うように自分のテンションを上げられない。自分だけが楽しめてないような気がする。馬鹿騒ぎすることへの生理的嫌悪感。運動神経が鈍いから足を引っ張る。音痴だから歌っても楽しくない。コミュ障だから上手く話せない……

結局僕はリア充になることを諦めた。

 

僕はオタクにもなれない

記事:オタクなのに露骨な萌えが好きじゃない

自分はオタクにもなれない。それは大学生になってから悟った。

リア充への道を諦めた僕は、大学ではオタクの集団にすり寄った。

アニメ、映画、小説、漫画……。

物語の感想を言い合ったり、考察したりするようなオタク。彼らとなら上手くやっていけるかもしれない。

しかし、僕はまたしても集団に馴染むことは出来なかった。

オタクたちの異常なまでの作品知識についていけない。二次元の女の子をそこまで愛せない。所詮架空の話だとどこかで冷静になっている自分。一方で早口で自分の意見を交わし合うオタクたち。特有のノリが正直気持ち悪い。にわかの自分に誰も話を合わせてくれない。だからといって追いつきたいとも思えない自分……

結局僕はオタクになることを諦めた。

 

リア充とオタクは本質的に同じ

リア充の人間とオタクの人間。その両方に入ってみて気が付いたことがあった。

それは、どちらもアツくなれることがあるということだ。

自分が大好きなもの。得意なもの。そういったものに接するとき、リア中もオタクも我を忘れて夢中になれる

他人の目を気にせず、我を忘れ、彼らは自分の欲求のままに夢中になることができる。

 

リア充にもオタクにもなれない人間は、おそらく夢中になれるものがないのだろう。(もしくは夢中なものが人と共有できない)

夢中になることができないから、夢中な集団に馴染むことができないのだ。

自分にとって夢中になれるものは何だろうか?

しばらく考えてみたが、何も浮かんでこなかった。

 

リア充でもオタクでもない集団

夢中になれるものがない自分。そんな僕でも、唯一馴染むことのできる集団がある。

それは、自分と同じリア充でもオタクでもない集団だ。

僕は一時期この集団に属していた。自分と似たタイプの人間ばかりで非常に居心地が良かった。

しかしこの集団、

一緒にいて何の面白味もない

冷めた人間が集まったところで何も盛り上がらない。全員夢中なものがないから会話も盛り上がらない。ただ全員が寂しいからという理由だけで集まっている。何の向上心もない。何も生み出さない。口を開けばネガティブな発言ばかり。互いが互いを見て安心感を得るだけの、何の価値もない集団……

結局僕はこの集団にいることも辞めた。

そして僕はぼっちになった。

 

無趣味ぼっちが進む道

好きなものがない、夢中になれるものもない、友達もいない冷めた自分。

アニメや映画、小説など、そこそこ楽しめることはある。しかしどれだけ頑張ってもそこそこ止まりだ。リア充やオタクが味わうような楽しさはどれだけ頑張っても出せる気がしない。そもそも頑張って出すものでもない。

夢中になろうとする自分を見つめるもう一人の自分。

「それの何が楽しいの?」
「そんなことしてなんか意味あんの?」

背後からもう一人の自分が話しかけてくる。

いつからこんなことになったのだろう、と思い返してみたが、よく考えたらずっとこんな感じだったのかもしれない。

 

孤独になっていろいろ考えた今、僕はとりあえず人並みに楽しむことを諦めた

たぶん自分はリア充やオタクの人間とは根本的に思考回路が違うのだろう。脳内麻薬が出にくいとか、感情を司る脳の一部が麻痺しているとか、そんな理由があるのかもしれない。

だから他人と自分を比較して落ち込んだり、タイプの違う人間にムリに合わせて苦しんだりすることが無意味なように思えてきた。気にしてもしょうがない気がしてきた。

ただ、だからといってこのまま人生を終えてしまいたくはない。やはりこの世に生まれた以上、僕も何かに全力になりたい。夢中になれるものを見つけたい。

だけど中々見つからない。見つかる気がしない……

そこで、僕は新しい方針を立てた。

それは、何かに夢中になれるような自分になるための努力をする

夢中になれるものが見つからない。だからまずは、夢中になれるものを見つけることができる自分になる必要がある。

そのために、とりあえず自分にできることは

1.知識を増やす
2.自分ができることを増やす
3.主体的に行動する
4.劣等感をなくす

くらいだと思った。

 

何かに夢中になれるような自分になるための努力をする。かなり回りくどい。そして面倒くさい。

「そんなことしてなんか意味あんの?」

もう一人の自分が話しかけてくる。僕はとりあえずそれを無視した。

この先どうなるかわからないけれど、周りを気にせず自分なりに進んでいこうと思っている。

(そのために挑戦していることの一つがこのブログだったりする)

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コメント

  • すごく、いいと思います。自分の気持ちに正直に試行錯誤していけば理想に近づける気がしますね。

    by おち 2017年6月5日 11:14 PM

  • ありがとうございます。マイペースに頑張ろうかと思います。

    by まつようじ 2017年6月9日 7:42 AM

  • 共感できてしまう自分がいる。
    いまの自分は頑張ってオタクになろうとしている段階といったところだろうか。

    by 匿名 2017年9月13日 4:03 PM

    • 普通は頑張ってなるようなものでもないんですよねえ……

      by まつようじ 2017年9月15日 2:02 PM

  • 私も全く同じです。
    他人と同じ何かを共有するのが億劫なんですかね。
    こんなことをコメントするのは失礼かなと思いましたが、ついコメントしてしまいました…

    by 水上 2017年10月3日 7:25 AM

    • コメントありがとうございます。嬉しいです。
      この記事意外と色々な人から共感して頂いています。
      みんな意外と内心では冷めていたりするのかなあと思ったり思わなかったり……

      by まつようじ 2017年11月25日 10:41 AM

  • 私もリア充のようにバカ騒ぎするのが好きではありません。
    かといってオタクと一緒に「〇〇萌えー!」と叫ぶ事もしたくありません。
    私自身はどちらかというとオタク寄りの傾向がある人間です。
    萌えというジャンルは今でも捨てきる事ができません。
    昔はまんがタイムきらら等を毎月読んだりしており、きらら作品の中に
    自らの理想の人間関係を見出した事もあります。
    しかし、人間関係はそううまくいくものではありません。
    作品を否定する者やそれこそリア充のように周りを気にせずバカ騒ぎする者
    オタクである事をさもステータスのように自慢する者、他人に暴力や悪口を行う者、
    いろんな人がおります。
    萌え作品の方も中身のない露骨な萌えを量産しだす始末。
    こんなものがオタクであるなら、続ける価値等ないと感じました。

    まつようじ様の別の記事にある「萌えは与えられるものではなく見出すもの」この言葉にとても共感できます。

    萌えについても自分なりに付き合っていこうと思い、現在は直接イラストレーターにイラストを依頼して、自分だけの娘を描いてもらっています。
    現在、漫画はほとんど見ていませんしアニメは全く見ていません。

    駄文を書いてしまい、申し訳ありません。
    それでは失礼いたします。

    by 氷刃 2017年11月29日 3:31 PM

    • 氷刃さんコメントありがとうございます。
      理想の人間関係を求めれば求めるほど、逆に人を遠ざけてしまう。そんなジレンマのようなものを感じました。
      自分なりに好きなものを追求する姿勢。素敵だと思います。見習いたいです。

      by まつようじ 2017年11月30日 8:11 PM

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