大学を卒業した【根暗による反省と後悔とアドバイス7つ】

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大学生活振り返り反省記事。大学入学前に知っておきたかったこと。

4年前の自分(に似た根暗大学生)がもし読んでいれば、ぜひ参考にしてください。


 

4年前の自分へ

1.堂々としろ

大学一年目のはじめ、僕は異常に周りの目を気にして生活していた。

一浪して背伸びして合格した大学。同学年の人間は自分より年下。そのくせ自分よりは頭が良さそう。そしてなんかキラキラして見える。

そんな周囲の人間に対する勝手な劣等感が、自分の行動を抑制していたように思う。

勉強についていけないんじゃないか。なんか気を遣われてるんじゃないだろうか。自分なんかがこのグループに入っても迷惑なんじゃないだろうか……。

しかし卒業した今振り返ってみると、もっと自信を持って堂々としているべきだったなあと感じる。

はったりでも嘘でも見栄でも、堂々と振る舞えることはそれだけで長所なのだと最近思う。

堂々としている人間には自然と人が集まる。堂々としている人間は周りから信頼される。大学生活における集団行動で、大事なのは自信の根拠となる能力を身に着けることではなく、根拠なく自信を生み出すことなのである。

自分の能力が低いから居心地が悪いのではなく、堂々としていないから居心地が悪いのだ。

自分が浪人しているから気を遣われているのではなく、堂々としていないから気を遣われるのだ。

大学に入りたてのあの日、自分がとるべき行動は周りとのスペック差を埋めようとすることではなく、周りと同等以上のスペックがあると見せかけることだったのだろう。

 

2.フラグは極力拾いに行け

自分で行動しない限り自分の環境は変わらない

当たり前だが、忘れがちなことである。

大学生活では、そこら中に自分の人生を大きく変えるかもしれない『フラグ』が立っている。

・知らない人からいきなり渡されたサークルのビラ
・突然話しかけてくる留学生
・授業でたまたま会話するようになった女の子
・迷惑フォルダに入っていた大学のよくわからないイベント
・目的はわからないけど暇な人を集めているクラスメイト

根暗ぼっちで大学生活を過ごしていても、ふいにフラグを見つけることがある。

そして大抵の場合、なんとなく面倒くさくてそのフラグをスルーしてしまう。

そして数年経って振り返って見て後悔する。あのフラグ回収しとけばよかった。

中学、高校、浪人……これまでの生活以上に、大学生活では『フラグ』に遭遇する頻度が高い。

しかし、日頃からフラグが立っていないか注意し、見つければすぐに飛びつく覚悟を決めていないと、あっさりそれを見逃してしまう。そして後に後悔する。

そして大学生活に慣れれば慣れるほど、フラグに遭遇する確率は減少していく。

自分の場合、1,2年の頃は慣れないイベントに巻き込まれることが多かった。基本的にぼっちで過ごしていたにも関わらずだ。しかし鈍感で無気力だった僕は、自分の人生を変えたかもしれない多くのフラグをスルーした。もしくは面倒くさくてフラグをへし折ってしまった。いろいろな誘いをいろいろな理由で断ってしまった。

すると大学3,4年になると、フラグにほどんど遭遇しなくなった。自宅と工学部の建物を往復するだけの生活になった。卒業研究が始まると、関わるメンバーも完全に固定化されていった。

同じ行動、同じ人間、同じ環境。

そして気が付いたときにはもう手遅れだった。いつしか自分の生活スタイルは完全に固定化され、自分と環境を変えるハードルはかなり高くなっていた。なんかもうこのままでいいやと思うようになった。

そして何のフラグも回収できないまま、僕はスムーズに卒業してしまったのである。大した成長もしないままスムーズに……。

 

3.単位はあくまで必要条件

大学生の本分は勉強にある。そして必要数の単位を取らなければ卒業できない。

しかしだからといって、バカ真面目に単位を取るための努力をすることは間違っていたような気がする。

それよりももっと、自分の興味に基づく卒業に必要ない勉強を頑張るべきだった。

僕の入学した大学は、単位が中々とれないことで有名だった。(某大学は単位が空から降ってくるが、自分の大学は単位が地中に埋まっていると言われていた)

そんな噂にビビった僕は、留年しないように必死に勉強した。大学4年間は、常に『単位を確実に取ること』を最優先事項として生活していた。卒業するために、普通の大学生よりも多くの時間を費やしてきた自覚がある。他のいろいろな時間を犠牲にしてきた。

しかし正直なところ、単位を取るための勉強で得られたものはほとんどなかった。得られたのは卒業証書とストレス耐性くらいだった。

むしろ息抜きというか現実逃避でしていたプログラミングの勉強の方が、遥かに自分の実力になった実感がある。就活でも、役に立ったのは授業ではなく授業以外での経験だった。

確実に単位を取りに行くという選択自体は正しかったのかもしれないが、ときには大胆に合格ギリギリの勉強で済ます度胸も必要だったかなあと思った。

ちなみに自分のクラスメイトでめちゃくちゃ優秀な人間は、優秀過ぎて自分の興味に時間を費やし過ぎたあまり留年している。しかし彼は既に研究活動で実績を出し、メディアなんかに取り上げられたりもしていた。お金も十分なほど稼いでいるらしい。

大学のカリキュラムに従う以外にも、成功の道は色々ある。僕は一つの道に囚われ過ぎて、多くの時間を無駄にしてしまったような気がする。

 

4.進路は早めに決めろ

僕は周囲の人間が大学院に進学する中、学部卒で就職するという道を選んだ。

理由としては、

・希望の研究ができるか分からないリスク
・研究室の閉鎖的な人間関係に適応できないリスク
・研究をうまくこなせるかわからないリスク
・そもそも大学院試験に合格できるかわからないリスク

のような不安を解消できなかったからである。

個人的な意見としては、上記のリスクが問題でなく、金銭的余裕があるならば、理系学生は大学院に行くべきだと思う。やはり学部卒と院卒では、就活での有利さが段違いだったようだ。(この辺の話は大学や学部によると思うので割愛)

まあなんにせよ、自分の将来のことは早いうちに考えておいた方が良いのは間違いない。

僕の場合、大学の授業や研究に時間を取られ、かなりバタバタした就活になってしまった。

就活に限らず、とにかく早めの対策と行動が大事。

 

5.人の話をよく聞け

基本的に大学生活はぼっちで過ごした僕。

敢えて断言しておくが、ぼっちでも大学卒業は可能である。

ただ、ぼっち生活には大きな欠点が存在する。

それは、視野が狭くなること

インターネットの発展で気軽に情報収集できるようになった現代。しかし、自分で集めた情報には、『自分が集めた』というバイアスがかかっている。

自分が全く知らない概念、思いもしなかった発想を得るためには、多くの人から助言やアドバイスを得ることが有効だと思う。

僕の場合、就活を誰にも頼らずネットだけの知識で挑み、細かいミスを連発した。今にして思えば、事前情報さえあれば回避できた失敗がほとんどな気がする。

ちなみに話を聞けとは書いたけれど、必ずしも従うべきとは言っていない。

 

6.リスクを恐れるな

世の中には2種類の努力があると思う。

凡人でいるための努力と、特別になるための努力

同じ努力でも、この二つは大きく異なる。

受験勉強や大学での授業を頑張ることは、『凡人でいるための努力』に当てはまる。努力に対してある程度の見返りが得られることが保証されており、そのため安心して努力することができる。

一方で特別になるための努力、具体的には起業や創作活動、趣味やこだわりを極めるための努力には、『報われるか分からない』というリスクが伴う。

しかし大学生のうちに、この特別になるための努力をもっとしておくべきだったように思う。

何か自分にしかないスキルが欲しい。何か特別な存在になりたい。そう思いながら、自分がやっていたことは凡人でいるための努力だけだった。

自分がなりたい姿と、現在している努力の方向性が一致しているか。定期的に自分に問いかけてみると良いと思う。

 

7.素直に生きろ

これは卒業してから思ったこと。

世の中、笑いたいときに笑って、騒ぎたいときに騒いで、泣きたいときに素直に泣いてる方が上手くいくらしい。

以前は馬鹿みたいに騒いでいる大学生のことを見下して、「こいつら幼いなあ」なんで思っていた。しかし本当は、自分の感情を表に出すことを恥ずかしがって、他人の厚意に素直に感謝できず強がって損をしている根暗の方がよっぽど幼かった。

ときには気を遣って本心を隠すことも重要だが、過剰に自分を抑えることは、逆に相手を傷つけてしまうこともある。

自分の場合、自分の本心を抑え過ぎて、最近はもう自分の本心がなんだったのさえよくわからなくなってしまった。

ぼっちといえどいろいろな人にお世話になったはずなのに、感謝の気持ちを伝えたいはずなのに、どう伝えたらいいかイマイチよくわからない。言葉で伝えてもなんか嘘くさくなる。なぜかよそよそしくなる。

だからさらっとした感じで、色々な人に別れを告げてしまった。このことを少しだけ後悔している。もっとうまい別れ方があったんじゃないかと。お前はそれでよかったのかと。

……しかし正解がよくわからない。

人として大事な何かが、自分には欠落してしまったような感覚がする。

 

まとめ

まとめると、要はもっと自分を変える努力をしとけばよかったということである。

自分の行動原理から外れる行動を取ることはしんどい。無意識的に体が拒絶してしまう。

しかし自分の行動を自分から変えない限り、いつまでたっても自分自身は変わらない。

幸いにも、大学には自分を変えるチャンスがいくらでも転がっている。いろいろなフラグがビンビンに立っている。

4年前の自分がこれを読んでいたらこう声をかけたい。

「もっと手を伸ばせ」

と。

いや、もう既に手を伸ばしているんだろうがまだ十分じゃない。その程度じゃ何も変わらない。変えられない。

遠くのものを掴むために、もっと身を乗り出しても大丈夫だ。ちょっと体を傾けても、意外と社会のレールから振り落とされることはない。むしろ身を乗り出した経験が、社会に評価されることの方が多い。

自分が少し過剰だと思うくらいでちょうどいい。人間関係にしろ挑戦にしろ、踏み込むか迷うくらいなら踏み込んだ方がいい。そして踏み込んだのなら、あともう一歩くらいは踏み込めるはずだ。でないと終わってからこう思うことになる。

「あともうちょっといけたな」

と。

僕はこの「あともうちょっといけたな」を積み重ねて大学を卒業した。そんな自分がどんな生活を送っているかは、このブログの内容で察して欲しい。

 

……

 

 

今の自分がいるのは、大学生活のフラグを全て見逃し、普通の努力だけを普通にしてきた世界線。

そんな自分が必死にしがみついて手にした、最もリスクが低そうで安定していそうなレール。

この世界線が自分にどんな結末をもたらすのかわからないが、少なくとも他に、もっと良いルートがあったような気がする。

しかし無難に過ごした僕の狭い視野では、他のマシなルートを見つけることができなかった。

とりあえずしばらくは、成り行きに任せてこのレールに従って生きてみようと思う。

もちろん社会人になってもあるかもしれない、意外なフラグが落ちていないか目を光らせながら……。

 

 

この記事を読んだ違う世界線の自分が、自分よりもう少しマシな結末に到達することを祈っています。

 

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