ぼっちに限界を感じる

ねくら思考

ぼくは今まで23年間、基本的にぼっちで生きてきた。

これまで、僕はこのブログでいろいろと『ぼっちライフハック』を自分なりに考察して記事にしてきた。

ぼっちが二人組を作る方法、
ぼっちが昼休みを過ごす方法、
ぼっちが留年しない方法

基本的に堂々とさえ生きていれば、人生ぼっちで困ることなんて何もないと考えている。その考えは、社会人になった今でも変わらない。ぼっちのままでもやろうと思えばやっていける。

しかし今よりもより良い生活を手にしたいと考えたとき、自分自身を今よりもっとマシな人間に変えたいと考えたとき、このまま人間を避けて生きるスタイルに限界を感じるようになってきた。

それは仕事面、プライベート面、いずれに対してもいえる。

 

ぼっちの限界(仕事面)

別に友達がいなくても、与えられた仕事さえこなせられれば社会人としてやっていける。

別に友達がいなくても、最低限の受け答えさえできれば職場でも馴染める。

しかし、限界はある。

大学時代もそうだったが、社会人になってより重要度を増してくるのが情報の価値である。

業務に関する細かい知識やスキルを、上司はわざわざ一から教えてはくれない。

働いている中で、困ったことがあればその都度上司や同期に聞けばいい。それはそうなのだが、それだけでは会社という集団の中で主体的に動けない。

最低限の仕事をこなした上で、その上で自分のなし遂げたいことを見つけ、そして信頼を得て自分の望むキャリアを掴みたい。

とするとそのためには、情報を自ら積極的に拾いにいく必要がある。

そして情報を収集するためには、周囲の人間と仲良くしなければならない。

しかし、ぼっち生活に身も心も染まった僕は、それが上手くできない。

上司との飲み会では、どうしていいかわからずアタフタする。質問されても気の利いた返しができない。社会経験が乏しいから、どんな話題にもついていけない。そもそも世の中に関する関心が薄い。欲も薄い。今週末何するの? そんな問いかけにさえアタフタする。

これでは誰からも信用を得られない。何も成し遂げられない。それでも生きてはいけるけど。

一人で自由に生きたいと願いながら、今自分がいるのは一人では生きていけない会社というコミュニティ。そこで上手くやっていくためには、広く深い人間に対する理解と、社会に対する知識と経験が必要となる。

ぼっちでそれを手にするには限界がある。

 

ぼっちの限界(プライベート面)

僕は遊ぶことが大の苦手だ。

ぼっち生活に慣れたから、別に一人でやろうと思えば何でもできる。

しかし一人で遊ぶとなると、ひねくれた僕としては、つい変なことを考えてしまう。

なぜか昔から、自分には『自分の欲を満たすことへの最悪感』みたいなものが強く存在する。

自分が○○をしたいと思ったときに、それを素直に声に出し、行動することができないのである。本能的な欲に支配されて行動している自分が何か恥ずかしいというか気持ち悪いのである。自分の欲以外のことであれば、いくらでも主張できるし迷わず行動できるのに。

己の欲を排除した結果、普段の僕はめちゃくちゃ理屈っぽくなった。

自分の欲をできるだけ排除して、屁理屈を並べ立てて自分が行う行動の正当性を確保する。それからでないと行動できない。

何か美味しいものを食べたいと思ったときも、

空腹を満たすということは生きていく上で必須の行動である。そして空腹を満たす上でより美味しいものを選択するという行為により、自分の精神的疲労が軽減されるだけでなく、翌日人と会話するときの話題作りとしても機能する。よって美味しいものを食べに行くべきだ。

みたいな謎の承認手続きを脳内で行っている。

論理を上手く組み立てさえすれば、自分の本能的欲求に近い行動を、罪悪感を感じることなく合理的な手段として行うことができる。しかし論理の組み立てを間違えれば、容易に正当性の証明を完成できなくなる。やりたいことでも体が動かなくなる。挙句生きている意味なんかを考え始めて死にたくなったりする。

そうこうしているうちに、いつしか自分のやりたいことが何なのかわからなくなった。

行動の前にいちいち色々考えるため、普段の生活を全くアクティブに生きられていない。必要以上に頭を使うから、気晴らしですらうまくリフレッシュできない。

もっとシンプルに、

「○○したい」
「○○たべたい」

と言ってくれる人が身近にいれば、その人のために行動するという理屈で正当性が補強されるのでかなり楽なのだが。

ぼっちのままでは、現状を変えるのには限界がある気がする。

 

それでも人と仲良くなれない

人と仲良くするメリットはいくらでもある。

嫌でも人と関わる機会はいくらでもある。

ぼっちに限界も感じている。

最近少し一人でいることに寂しさも感じた。

だけど、それでも僕は人と仲良くなれない。

たぶん人間が嫌いなのだろう。

この世に自分と気の合う人間なんて存在しないと思っている。自分自身含め。

人と知り合い、対話してお互いを知り、長い時間を共に過ごす行為を面倒くさいと感じてしまう。いつかどこかで無理が生じて、結局すべて無くなってしまうような気がする。

そもそも他人にとって自分が存在する価値なんて無いのではと思ってしまう。

だから人と距離を取る。心理的な壁を作り、お互いに干渉し過ぎないようにする。

そしてまたぼっちになる。

 

これは僕が悪いのだろうか。

いや違う。

人間関係の仕組みが悪い。

 

相手と適度な距離感を保ちながら、無理なく人間関係を維持していける。

そんな自分に適した関係性が、今の世の中には仕組みとして存在していない。

 

しかし、今この世にないのであれば、新しく作ってしまえばいい。

 

 

次回、新企画始めます。

 

コメント

  1. 新生活、四苦八苦しながらも前に進んでるなあとブログやツイートから感じています。
    負けずに頑張ってくださいね。

    • >なかしょーさん

      前かは分かりませんが進んではいます!