正義とは何か? 正しいとは何か?
『これからの「正義」の話をしよう』という本を参考に、カントの定言命法についてざっくり考えてみます。
(※哲学について全く知らない理系大学生が適当に書いています。学問的な正しさについては一切保証しません)
ヒーローと正義と哲学と
僕はヒーロが好きだ。現実でも、フィクションでも、とにかく僕は『正しくあろうとする人』を尊敬しているしカッコいいと思っている。
しかし、よくよく考えてみればこの『正しい』という言葉がすごく曖昧ではっきりしないような気がする。
ヒーローは正義の名のもとに悪を倒す。
政治家は正義の名のもとに社会を動かす。
では一体、この『正義』とは何なのだろう。彼らの言う『正義』とは本当に正しい『正義』なのだろうか。
そもそも『本当に正しい正義』ってなんなのだろうか。
よくわからなくなってきたので、僕はこの本を読むことにした。
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
この本では『正義』について、哲学的な視点から、様々な社会問題を例に挙げて考察されていた。
いろいろと興味深い内容が多かったのだけれど、今回は特に気になったカントの考え方。特に『定言命法』を中心に紹介していこうと思う。
カントにとっての自由
イマヌエル・カント(1724ー1804)は、ドイツの哲学者。
やりたいことをやることが自由ではない
あなたは『自由』と聞いて何を思い浮べるだろうか。
親のすねをかじって気ままに暮らしているニート?
好きなことを仕事にしているYoutuber?
欲しいものは何でも手に入る大金持ち?
多くの人が、『自由な人』と聞いて、『好きなことを好きなように出来る人』みたいなイメージを思い浮べると思う。しかし、カントの訴える『自由』は、普通の人間が一般的に考える『自由』とは違うらしい。
では、カントにとっての『自由』とは何なのか。
本によると、カントにとっての『自由』とは『自律的に行動すること』らしい。
自律的に行動すること……?
欲望を満たす行動=ただの服従
カントとしては、好きなことを好きなようにやることは自由ではないらしい。
なぜか。
例として、『ケーキバイキングに参加した人間』について考えてみて欲しい。
ケーキバイキングに参加した人間は、当然ケーキを好きなだけ食べることができる。
参加者は自分の空腹という欲求をケーキによって満たすことができる。ケーキの種類まで好きに選べる。だから普通はこう考えるだろう。
しかし、よく考えてみてほしい。彼は本当に自由と言えるのだろうか?
注目すべきはケーキを食べるという彼の行為ではなく、ケーキを食べたいと思った彼の欲求だ。
カント的には、彼は自分の意思でケーキを食べたのではないらしい。
彼は、ケーキによって食べたいという欲求を刺激され、そして食べたいという欲求に服従させられ、そしてケーキを食べさせられているのだ。
これはケーキだけでなく、ハンバーグだろうがおっぱいだろうが何にでも言えることである。
食欲だろうが性欲だろうが、人が欲望を満たすための行動をするとき、人は欲望の奴隷として行動しているだけに過ぎない。だからこのときの人は自由ではない。
自律的行動とは
自律的な行動とは、自然の命令や社会的な因習ではなく、自分の定めた法則に従って行動することである。
カントが言うには、自律的な行動とは『自分の定めた法則に従うこと』らしい。
そして自律的な行動をすることこそが自由らしい。
そして自由な行動をとることこそが、人間らしい道徳的で価値のある行動らしいのだ。(すなわち正義)
つまり、カントにとっての正義を理解するためには、カントの考える『自分の定めた法則に従うこと』がどういうことなのかを理解する必要がある。
そして、『自分の定めた法則』の鍵を握るのが『理性』らしい。
少し頭が混乱してきた。
定言命法と仮言命法
まあ要は、「理性を使って正しいルールを考えて行動しようぜ! 欲望に従って生きるのは人間らしくねえよ!」 みたいなことが言いたいのだと解釈した。(ざっくり)
では、今度は『どう正しいルールを決めるか』について考えていきたい。
ここで重要なキーワードになるのが、仮言命法と定言命法という言葉だ。
仮言命法とは
仮言命法とは、〇〇のためには〇〇しなければならない、のような、条件付きで提示される命令の形式のことである。
例えば、
「太りたくないならば運動をしなければならない」
「幸せになるためにはお金を稼がなければならない」
「守るためには強くならなければならない」
といった具合に、まず最初に状況や条件を設定し、それに応じて適切な行動を理性的に判断してルールを作る、という方法のことである。
他の例としては、
「みんなを喜ばせるために人助けをする」
「みんなに褒められたいから良いことをする」
なんてのも仮言命法的な考え方にあたるだろう。
自分が求めること、求められていることに対して適切な行動は何かを考え、そしてそれに応じて行動を起こす。
なるほど、これがカントの言う正義なのか……。
違うらしい
カントは次のような理由から、仮言命法には道徳的な価値はないと主張している。
○○したいから、○○してほしいから○○する、という考え方は、それによる行動が正しいとしても道徳的に価値があるとは言えない。なぜならその行動のもとになっている動機が自分以外の要因に影響されているからだ。
外部によって動機が影響されている以上、その動機をもとに自分でルールを決めたところでその行動は自律的だとは言えない。だから仮言命法は正しいとはいえない。
どうやら『自分の定めた法則に従うことが自律的』とはいっても、外部から影響を受けた動機をもとにして法則を定めることは自律的ではないらしい。
定言命法とは
では一体何を基準に法則を定めればいいんだ! となってしまう。
ここで登場するのが定言命法という考え方だ。
難しい言葉なので、ここは本の文章を一部引用させていただく。
カントにとって、定言命法とはいわば無条件に、つまりほかに考慮すべき目的や依存する目的をいっさい持たずに何らかの行動を命じることだ。「それは行動の実質や予測される結果ではなく、行動の形式と、行動を生じさせる原理とにかかわっている。その行動に含まれる本質的な善は、行動の結果がどうあれ、つねにその心的傾向に存する」。定言命法だけが道徳の命法たる資格を持つとカントは言う。
ざっくり書くと、『○○したいから○○する』が仮言命法で、『とにかく○○だから○○する』が定言命法らしい。
外部の要因に振り回されるのではなく、普遍的なルールを自分で定め、そしてそれに従って行動する。
ヒーローに例えるとこんな感じだろうか。
かっこいい。
結局正義とは
・欲求に従うのは正しくない。
・欲求のために何かをするのも正しくない。
・『普遍的なルール』を自分で定めてそれに従うことが正しい。
・何かのために行動することは、たとえそれが正しい行いであったとしても自律的な行動ではない。だから道徳的な価値はないし、正義とも言えない。
・大切なのは行動の結果ではなく動機である。何が正しいのか、何が普遍的なのかを自分で考え、そしてそれに従って行動することが人間にとっての本当の自由であり正義である。
最後に
最近哲学に興味を持ち始めた僕ですが、人に発信するにはまだ早過ぎたかなと感じました。カントさん、何か間違っていたらごめんなさい。
この記事ではカントに絞って紹介しましたが、参考にした本では、他にも様々な正義が紹介されていました。
もちろん、カントの定言命法についてはもっと詳しく、細かく書かれています。(それでいてわかりやすい)
普遍的なルールってなんだ? 結局具体的には何をするのが正しいんだ? 嘘をつくことはいいのか? 結婚前の性行為はダメ? などなど、いろいろ書かれているので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
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