映画『PK』感想 生き方に悩んでたからインド映画観てみた

映画
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映画『pk』の感想です。

事前知識なしで何となくインド映画を観たら、思いのほかいろいろ考えさせられた話。


 

大学の学園祭があった今日。

相変わらずの不参加を決めた僕は、ふらふらと映画館を訪れた。

『デスノート』を観るか『聲の形』を観るかで迷い、結局選んだのはよくわからない映画『pk』

普段は観ないタイプの映画だけど、何となく今日はインドの雰囲気に染まりたい気分だった。

 

映画情報

日本でもロングランヒットを記録したインド映画「きっと、うまくいく」のラージクマール・ヒラーニ監督と、インド映画界のスターであるアーミル・カーンの再タッグ作。本国インドでは「きっと、うまくいく」を超える興行成績を記録し、全米公開もされた。留学先のベルギーで大きな失恋を経験したジャグーは、いまは母国インドのテレビ局で働いている。そんなある日、ジャグーは、地下鉄で黄色いヘルメットを被って大きなラジカセを持ち、あらゆる宗教の装飾を身に付けてチラシを配る奇妙な男を見かける。男は「PK」と呼ばれ、神様を探しているということを知ったジャグーは、男になぜ神様を探しているのか話を聞くのだが……。

映画.com 『pk』より

ざっくり言うと、トラブルがあって地球に取り残された「宇宙人」のPKが、地球の色んな神様に助けを求めるお話。

 

 

感想(ネタバレほぼなし)

宗教にツッコミを入れる問題作

やはり一番の特徴はこれ。

色々な宗教が複雑に混ざり合っているインド。そのインドで宗教を半分馬鹿にしながら描いているこの作品はかなり攻めてる。

「おいおい、祈ったけど何も叶わねえぞ?」

「何でお祈りするのにお金がいるんだ?」

「寺とか神殿とか建てるお金で、困っている人救えるくない?」

作中でアホ面のpkが純粋な疑問を抱くのだけれど、これが意外と考えさせられる。

 

 

pkのキャラ

本作はコメディ要素の強い映画で、その原因はやはり宇宙人のpkによるものが大きい。

いきなり全裸で地球に降り立ち、言語も文化もお金の存在も知らないまま暴れ回り……

pkの行動が様々な事件を起こしていく。

作中では町の人々に笑われる馬鹿なpkだが、映画を見ていく内に、次第にpkが馬鹿なのか地球人が馬鹿なのかがよく分からなくなってくる。

特に神さまを信じない日本人の僕からすれば、熱心に奇妙な方法で祈りを捧げる人間も、pkと同じくらい奇妙な存在に見えた。

 

 

急に歌うよ

インド映画を初めて観て思ったこと。

あ、本当に歌うんだ……。

なぜか何の前フリもなく登場人物たちが歌い、そして踊り始める。

さすがはインド人だけあって、みんな美声で歌が上手い。そしてダンスもキレッキレで見ていて楽しかった。

登場人物の心理を歌詞にして歌ってくれるので、物語が非常に分かりやすくなるという効果も感じた。

 

 

ヒロインがふつくしい

放送局で働いていて、pkに目を付けるヒロインのジャグ―。彼女がめっさ美人だった。

正直最初の15分間はジャグ―の胸元と太ももを凝視していて、に見惚れていて、物語の重要な伏線を見逃してしまっていた。

これが監督の狙い通りなら恐ろしい腕前。

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スカートが短い。

 

 

面白かった

『pk』、良い映画だと思います。

2時間半という大作ですが、ほとんど長さを感じませんでした。

コメディっぽいのに扱う内容は深く、それでいて最後は感動的で、映画館では笑い声や鼻をすする声が結構聞こえてきました。

正直僕は感動……とまではいきませんでしたが、かなり面白かったことは確かです。

海外では評価されてヒットしているようですが、日本ではあまり話題になりませんね。やはり日本人の信仰心の薄さも関係しているのでしょうか……。

普通にコメディとしても恋愛ものとしても面白かったですけどねえ。

 

 

以下ネタバレ有り

ここからは映画の結末を観て思ったこと。

 

 

巧妙な論点ずらし

映画で一番印象に残っているセリフ。

それはpkのセリフでもジャグ―のセリフでもなく、意外と太った宗主(?)のおっさんのセリフだったりする。

確かこんなことを言っていた。

「お前は宗教を否定して何がしたい? 人々は神を信じることで希望を持っている。お前はその代わりに何かを与えられるのか?」

中々鋭い反論だと思う。

作中で散々ツッコまれた宗教だが、当然、人々を救っている良い面もある。実際作中でも序盤のpkは『神様を信じること』で前に進み続けることができた。

この映画は別に宗教そのものを批判しているわけではない。宗教を盲目的に信じることで争いや不幸が起こることを批判しているだけであり、『神様を信じること』自体は肯定しているように捉えることが出来た。

 

さて、宗主の言っていた『じゃあ何がしたい?』という反論に対するpkの答えなのだけれど、これが絶妙にぼかされていたような気がした。

一応、「人間たちで助け合うんだ」とか、「愛がうんたらかんたら」とか答えは用意されていたけれど、ふわっとしていてイマイチ具体性に欠ける気がした。

何より、最後のpkと宗主の討論は『宗教』全体に関わる討論だったはずなのに、

いつの間にか『おっさんの予言が嘘かどうか』という点に争点が移り、

最終的には『ジャグ―が結ばれるかどうか』という、本質とはちょっとずれた所で勝負の決着が付いてしまった気がして個人的にはちょっと物足りなかった。

ジャグ―が結ばれるくだりはとても良かったんだけど。

 

 

本来なら絶対に救われてない

最終的にはジャグ―は結ばれ、pkも宇宙に帰れてハッピーエンドで終わったのだけれど、普通に考えて現実だったら確実にそうはいかない。

そもそもリモコンが都合よく見つかるなんてことはまずないし(インドは広いよ)、

手紙の渡し間違だったなんて都合の良いことは有り得ないし(筆跡で気づけよ)、

パキスタン人の彼が毎日大使館に電話をかけていたなんて都合の良いことは起こらない(そこまでするなら直接電話しろよ)。

現実はもっと理不尽で不条理で残酷である。

大抵の場合、人間の願いは叶わない。

 

では彼らがどうしてハッピーエンドになれたかというと、正直それは運が良かったからだ。

もっと言うと、神さま(監督)が助けてくれたからだ。

 

しかし現実ではそんなことは起こらない。

いくら頑張っても電話のかけ違いは起こり得るし、そこから騙し合いや争いが生まれる。

確かに助け合いの精神や愛の力で何とかなるケースもあるのだろうけれど、人生にはどうにもならない場合だってある。

では、どうにもならない場合はどうしたらいいのか。

やっぱりそんなときは、神に祈ることが一番なのだろう。

神さまに救いを求める。それで希望を抱き続けられるのならば、それはそれで良いことだ。

これは別に神さまに限ったことではない。『自分はいつかは報われる』と根拠もなく信じることが、希望を持ち続けることに繋がるのだろう。

 

しかし、だからといって何でも信じればいいというものでもない。

世の中には偽の神さまがいる。神さまを使って悪さを企む人たがいる。

そういう連中に騙されないように、理性的な側面も持ち続ける必要があるのだろう。

 

しかし、だからといって理性を突き詰めれば、神さまを信じられなくなるかもしれない。それでは希望を失ってしまうかもしれない。

神を信じる心と、正しい神を選ぶ理性。

この絶妙なバランス感覚が、この世界を生きていくためには必要なのかもしれない。そんな風に感じた。

 

……いや、映画的にはそれ以前に『愛』が重要なのか。

愛さえあれば神さまがどうとかなんて関係なくハッピーなのか。

 

 

……ところで、愛ってどこで売ってるの?

 


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