あなたは『おなら吾郎というアニメをご存知だろうか。
毎話3分程度で終わるアニメなのだが、これが中々面白い。
そして中々深い……のかもしれない。
あらすじ
おならのおなら吾郎が、様々な問題をおならのように解決する日常ハートフルコメディーアニメ。脚本・監督・編集・声は『森の安藤』や『おしり前マン』の谷口崇。プロデュースは株式会社ILCA。
以下、各話の考察。
(特に名作な1話、6話、7話を抜粋)
第1話 『非行少年とおなら吾郎』
考察: おなら吾郎はなぜ不良を更正させることが出来たのか
大人にかまって欲しかった不良
「授業をサボるぜー」
「タバコを吸うぜー」
悪の道に進もうとする不良たち。彼らはなぜ、このような態度をとるようになってしまったのか。
注目してほしいのは、不良たちがわざわざ、悪事を教師に報告しているという点である。
不良たちは、わざわざ教師に見えるようにタバコを吸っている。本当に悪の道に進みたいなら、隠れて吸えばいいはずなのに。
……そう。ここから見える事実。
それは、彼らは本質的には不良ではないということだ。
彼らはただ、教師に注目して欲しかったのだ。
自己主張の方法がわからなかっただけなのだ。
一方で、そんな不良の気持ちを理解しようともせず、何の行動もおこさない教師たち。
これでは一向に状況は改善しない。
しかしそんなとき、この場に突如現れた救世主。それがおなら吾郎なのである。
心に響く、おなら吾郎の言葉
「やめておきなさい」
不良に対し、こう優しく話しかけるおなら吾郎。
しかしそれだけでは、不良の心には届かない。
「俺たちは悪の道に進むんだ!」
勢いを増す不良たち。普通の教師なら、ここで投げ出してしまうかもしれない。
しかし、おなら吾郎は違う。
「おならがなぜ出るか、知っていますか?」
おなら吾郎は不良たちにそう問いかける。
そして、おなら吾郎は落ち着いた口調で話し始めるのである。。
口から入った空気が、肛門から出るまでの過程を。
……そう、おなら吾郎の人生の道のりを。
悪の道に進もうとする自分たちを前に、優しく自分の生き様(肛門までの道)を語りかけるおなら吾郎。
その言葉を聞いて、不良たちが改心しないはずがない。
「すいませんでした!」
こうしておなら吾郎は『おなら』という自分の特徴を生かし、不良の更正を見事成功させたのである。
第6話 『キャプテンおなら』
考察: 吾郎とおなら吾郎の関係性
『おなら』どうしで会話をする吾郎と高橋
6話では序盤、屋台でおなら吾郎とおなら高橋が再開する場面から物語が始まる。
私はこの序盤の場面で、何とも言えない違和感を感じていた。
最初は違和感を無視したまま視聴を終えた。
しかし、2週目を観始めた時点で、ようやくその違和感の正体に気が付いたのである。
おならどうしで会話している
『おなら吾郎』というタイトルであるにしても、この状況はおかしい。
人間どうしで話せばいいのに、どうして彼らはおならを通して語り合うのか。
……ここからは個人的な解釈である。
おならで会話する二人。これはつまり、本心を隠そうとする心理の表れなのではないだろうか。
「あんなやつ、もう好きじゃないやい」
妻の真由美の愚痴を言うおなら吾郎。しかし、吾郎は本心では真由美のことを愛している。
「ちっとも変わってない」
吾郎の本心を見抜くおなら高橋。おそらく、彼は今でも真由美に好意を抱いている。
しかしおなら高橋は、そんなそぶりを極力見せないようにしていると感じた。
唯一本心がぶつかり合ったシーン
おならで会話することで、本心を隠そうとする吾郎と高橋。
しかし彼らが、一度だけ生身の体でぶつかりあったシーンがある。
それがPK対決のシーンだ。
勝てば真由美と付きあう。それが勝利の報酬だった。
高橋は演出のため、吾郎は無関心。本来なら、お互いが無気力のまま決着がつくはずである。
しかし、吾郎と高橋は全力で勝負したのだ。
おならという偽りの姿を捨ててまで
そして結果は吾郎の勝利。
「おなら真由美を幸せにしろよ」
勝負から数十年たった今でも、真由美の幸せを陰で願う高橋。
ここで
「真由美を幸せにしろよ」
ではなく
「おなら真由美を幸せにしろよ」
と呟いた部分に、真由美のことを深く知れなかった高橋の無念さが伝わってくる気がする。
6話は間違いなく、男の不器用な友情を描いた傑作である。
第7話 『あの日出たおならの音を僕たちはわすれない』
考察: トリックとしての『おなら』の役割
「え? どういう……こと?」
第7話。ラストは衝撃の展開だった。
突然現れた謎の銀髪の女。彼女が実は、翼の作りだした架空の『おなら』だったのである。
ところで、あなたは『叙述トリック』というものをご存知だろうか。
『叙述トリック』とは、文章などの仕掛けによって読者のミスリードを誘う、推理小説でよく用いられる手法である。
この、映像作品では実現が難しいとされる叙述トリックを、第7話では見事に成功させているのだ。
おならだから実現出来たトリック
『謎の女は翼が作りだした架空のもの』
こんな大胆な展開は、普通の人間どうしでは絶対にありえない。一人で二役を演じるのは不可能である。
しかし、おならなら違う。おならであれば、一人で二おならを演じることは十分に可能だ。
まさにおならだからこそ出来たトリックというわけである。
ミスリードの巧さ
では、我々はなぜ、最後までトリックに気が付けなかったのか。
それには、映像技術を最大限に活用したミスリードの巧さが関係している。
特に巧いと感じたのは以下の2点だ。
まず一つ目。
◎おならを限りなく人間に似せているということ
本作では、ヒロインおなら真琴はとても可愛く、一方でおなら翼はとてもカッコよく描かれている。
そして最初から最後まで、真琴と翼本人の顔は明かされていない。
……これが何を意味するかはもうお分かりであろう。
そう、おならたちを可愛くみせ、本体の人間に注目させない。それによって視聴者に、おならがまるで人間であるかのような錯覚を与えているのだ。
本作の肝はおならの特性を利用した叙述トリックだ。
しかしおなら真琴たちを人間として認識しているかぎり、叙述トリックには気付けないという巧みな構造になっているのである。
そして二つ目。
◎謎の女が、誰の肛門から出ているのかを最後まで映さない
あなたはこの伏線に気付けただろうか。
謎の女が登場する全てのシーン。そのシーンでは常に絶妙なカメラアングルを用い、翼の肛門が画面に映らないように工夫されていたのである。
(でも、真琴からすればバレバレだろう……)
↑このように考える人もいるかもしれないが、それは違う。
真琴が謎の女とぶつかる直前のシーンに注目してほしい(動画52秒付近)
このシーンで、おなら翼と銀髪おなら女の間にかなりの距離が開いていることがお分かり頂けたであろうか。
このことが意味すること。
それはつまり、翼は遠隔距離で複数のおならを操作できるということを表している。
翼のもつおなら操縦テクニック。そしてため込んだガスの多さ。
それにより、真琴は真実に気付けなかったと考えるのが妥当であろう。
おならだから出来た、おならにしか出来ないトリック。その巧みさが光った第7話だった。
最後に
ねた記事のつもりで書き始めたが、意外と深い考察が出来てしまった。
たぶん、これより詳しいおなら吾郎の考察記事は他にないと思う。
画像:(C)谷口崇/ILCA
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