小5の夏。僕は嘔吐した。
それも修学旅行中。バス内で。思いっきり。
終わりの始まり
やらかした。完全にやらかした。
もう言い訳のしようがないくらいにやらかした。明らかに僕の人生が終わった。
バス内でゲロをぶちまけた瞬間、僕ははっきりとそう思った。小5の夏、修学旅行最終日の帰り、バス内での出来事である。
詳しい描写はしないでおく。不快にさせてしまうかもしれないからだ。大体この記事のタイトルで察して欲しい。
僕はクラスメイト全員が乗るバス内で、エチケット袋を使うことなく、数時間前に食べたカレーを全てリバースしたのである。
口々に生徒達が叫び出し、バス内は地獄絵図となった。
全員の視線が僕に集まる。もはや言い逃れのしようがない。
以前うんこ漏らしを巧みに誤魔化した僕だったが、今回ばかりはどうしようもなかった。
後始末
僕が嘔吐したとき、不幸にもバスは高速道路を走行していた。バスはあと一時間は止まれないらしい。
バスを汚し、服を汚し、もうどうしようもなくなっていた僕。そしてパニックになる他の生徒たち。
そんなカオスな状況を、当時担任だったおばちゃんの先生は見事な対応で乗り切った。
まずは生徒たちの移動。バスの補助席を使い、なるべく僕以外の生徒を僕から遠ざけるように配置した。恐らく単なるバス酔いだが、感染症のリスクを考えてのことだろう。
なんということでしょう。あの狭かったバスの空間に、僕の周りだけ広々とした隔離スペースが誕生したのである。
そして今度は僕の着替えだ。服もズボンも汚れていたのでどちらも着替える必要がある。しかし、僕の着替えは全てバスの下だった。今ここには新しく着る服がない。
すると、先生はおもむろに自分のリュックの中をあさり始めた。
出てきたのはクソダサいジャージ。以前おばちゃん先生が着ていたのを見たことがある。まさかこれを着れというのだろうか。
やはりそうらしい。
僕は言われるがまま服を脱いだ。
クラスメイトの視線を感じながら、服を脱ぎ、汚れを拭き、先生のジャージに着替える僕。
僕は生まれて初めて死にたいと思った。
反省
後始末をしてからは快適なバスだった。
綺麗になった。出すものは全部出した。騒ぎは落ち着いた。周りの席には誰もいない。だけど当然、自分の心は静まらなかった。
僕は静かになったバス内で、延々と反省と自己嫌悪を繰り返した。
僕がこの大惨事を引き起こしてしまった原因は大きく五つあった。
1.自分が乗り物に極度に弱かったこと。
2.その日体調が悪かったこと
3.帰り用の酔い止めを二日目に使ってしまったこと
4.自分の席にだけエチケット袋がなかったこと
5.隣にいた鈴木(仮名)の口臭が酷かったこと
そして根本的な原因がもう一つ。
途中で誰にも助けを求めなかったこと
だが、これは難しい。
共感してくれる人がいると嬉しいのだが、乗り物酔いをしてやばいときは、乗り物酔いしているという事実を口に出すだけで吐くのである。
自分の座席にエチケット袋がないことには気が付いていた。だが、それを誰にも言えなかった。そのときはもう既に手遅れだったのである。
もしあのとき誰かに助けを求めようとしていたら、
となっていたに違いない。
だから僕は誰にも言えなかった。
徐々に増す吐き気を必死に抑えながら、何とか『自分は酔っていない』と自分に言い聞かせることに必死だったのである。自分が『吐きそう』だという事実を認めてしまえば、条件反射的に嘔吐することは目に見えていた。
だから隣に座る鈴木にも平気なフリを貫いた。カレーを口から出すその瞬間まで、僕はあくまで自然に振る舞ったのだ。
たぶん鈴木にとってもこの事件は一生のトラウマになっているはずだ。
不登校寸前
結局その後は何事もなく家に帰った。
正直この辺りの記憶がない。
周りが体操服の中、一人だけおばちゃん臭い紫のジャージを着ていた僕。
人目を避けるようにして帰った家までの道のり。
僕の姿を見たときの親の反応。
何も思い出せない。ただただ自分が情けなかったのだけは覚えている。
次の日は確か振替え休日だった。誰にも会わず、一人で家に籠れるのはありがたかった。
しかし、人間を避ければ避けるほど、増幅するのは次にクラスメイトと会うときの恐怖だった。前回記事で書いたが、僕は当時クラスの女子から軽い嫌がらせに合っていた。
前回記事:ねくおた誕生記(4) いじめられっ子をかばった末路
きっかけは『他のいじめられっ子をかばったから』というくだらない理由。
そんな些細なことで嫌われるのだから、思い切りゲロを吐いた僕はどうなってしまうのだろう。本当に恐怖だった。
次の日、僕は仮病を使って学校を休んだ。
学校に行きたくなかった。不登校寸前だった。
なんとか登校
しかしその次の日、僕は学校に行くことにした。行きたくなかったけど行くしかないと思った。
理由はただ一つ。陰口を言われたくなかったから。
大失敗をやらかした僕。バカにされるのは仕方がない。自分はそれだけのことをした。迷惑もかけた。
たぶん僕は馬鹿にされる。耐えられないかもしれない。だけど、自分の知らないところで自分が馬鹿にされているのはもっと耐えられない。
僕は覚悟を決め、ようやく学校への一歩を踏みだした。
先生のジャージが入った袋を手にして。
意外
登校した結果……
なんかよく分かんないけどみんな超優しい
むしろゲロ吐く前よりも優しくしてくれる。僕はスクールカーストで底辺だったはずなのに……
クラスのみんなの優しさは一日中続いた。
いくらなんでも優し過ぎる
そして優しさが不自然過ぎる。
誰がどこからどう見ても、クラスの皆がゲロ吐いた僕を慰めてくれていることは明白だった。
昨日僕が休んだあの日。あの日にどんなやり取りがあったのか、僕は何となく想像が付いた。たぶん先生と一緒にみんなで僕のことを話していたのだろう。『落ち込んでいるまつようじくんに優しくしてあげましょう』たぶんそんなことを言っていたに違いない。
しかし明らかな気遣いでも、落ち込んでいた僕は皆の優しさが嬉しかった。
ゲロを吐いた失敗は今でも後悔している。だけど僕は、そのことによって仲間の優しさを知った。僕は失敗した代わりに大切なことを学べたのだ。
ただ……
超気まずい
終わらない優しさ
それからしばらくの間、僕に対する過剰な気遣いは続いた。クラス替えがある半年後まで続いた。
半年間の間、誰も僕に悪口を言うことはなくなった。嫌がらせをされることもなくなった。
一部の女子はたまに僕の体調を気遣うようになった。他の女子は僕に話しかけてこなくなった。
男子は僕に今まで通り仲良く接してくれた。ただ、僕のことを一切いじらなくなった。
小学生の会話なんて悪口で成立するようなものである。僕にだけ悪口を言ってこなくなった友達は、なんだかよそよそしい感じがした。
だからといって、自分から相手をからかうことはできなかった。相手は僕に優しくしてくれているのである。遊びに入れてもらっているのである。なのに自分だけ相手を馬鹿にする、そんなことはできなかった。変に刺激してゲロの話を掘り返されたくもなかった。
気が付くと、僕は他人に何の影響も与えないし与えられない空気のような存在になっていた。
老人ホーム訪問
ここからは余談。
僕のクラスは後日、お年寄りとの交流ということで老人ホームに行くことになった。
僕達はお年寄り達の前で練習していた歌を歌ってあげ、一緒に遊んであげた。
別にやりたくてやっているわけではない。先生に命令されて嫌々だ。ただ、おじいちゃんおばあちゃんを喜ばせてあげられるんならそれでいいかなあと思った。
たぶん他のクラスメイトも同じ気持ちだったのだろう。みんな優しくお年寄りに接してあげていた。
先生も喜んでいた。先生に褒めれられて、クラスのみんなも喜んでいた。
しかし、このとき僕だけは別のことを考えていた。
クラスの様子を見て、あることに気が付いてしまったのである。
それは、クラスメイトの
お年寄りに対する態度
=僕に対する態度
だったということ……。
まとめ
僕はこのとき始めて知った。
世の中には、スクールカーストから外れた人間がいる。
その人間は誰から見下されることもバカにされることもない。尊敬されることもない。ただ、その人間は無条件で優しくされるのだ。
もしもいじめられて困っているならば、いっそのこと教室でゲロをぶちまけてやればいい。そうすればもしかすると、次の日からみんな急に優しくしてくれるかもしれない。
もしも大恥をかいて学校に行きたくないとしても、試しに一日だけでも学校に行ってみるといい。そうすればもしかすると、意外とみんなが滅茶苦茶優しいかもしれない。
もちろん失敗した場合の責任を僕は取らない。世の中はそんなに甘くない。
ただカレーのように辛い人生でも、意外と最後は何とかなったりすることが多い。
つづく
タグ:ねくおた誕生記
画像:© それいけ!アンパンマン
コメント