彼女できる気がしない

ねくら思考
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彼女が出来ない言い訳を延々と書き連ねるだけの記事。

 


 

学生生活が終わる

2019年。

もうすぐ長かった大学生活が終わる。平成も終わる。そして新たな社畜生活が始まる。

色々な意味で区切りとなる今年。何度も頭に浮かぶのは、『やりのこしたことはないか』ということ。

……。

恋人がいない

いたことがない。一度も。一秒も。一ピコも。

普通に生きていれば、いつか自然とできるだろうと思っていた彼女という存在。それがいつの間にか中学が終わり、高校が終わり、そして大学が終わろうとしている。何のイベントも起きないまま。

かつて教室の隅で語り合ったあいつは女の子をバイクの後ろに乗せて走り回り、昔気になっていたあの子は知らない男との同棲をtwitterで匂わせている。しかし自分の生活は何も変化していない。

いつしか恋人がいる人間をからかう風潮は影を潜め、むしろ恋人がいない人間が居心地の悪さを感じる場面が増え始めた。オタクが多い理系といえど、大学生活終盤となると、恋愛経験のない自分は少数派にいるように感じる。

では、一体どうして自分には恋人ができないのか。異性と仲良くなれそうな気配すらしないのか。

そろそろ本気でこの問題に向き合わないといけない気がした。だからとりあえず原因を列挙してみようと思う。

ただ、出会いがないとか会話が下手とか根暗だとか、考えなくてもわかるありふれた理由を挙げても面白くない。

せっかくわざわざ文章にするので、敢えて自分なりの斜め視点から考えてみた。

 

彼女ができない原因

①『彼女』という定義の曖昧さ

「彼女欲しい」「彼氏欲しい」

そんな言葉をよく耳にするが、そもそも『彼氏』『彼女』の定義とはなんなのだろうか。どこからが彼女で、どこからが知り合いなのだろうか。

……人による

一応、恋愛の法律では、「付き合う」ということをこう定義している。

恋愛の法律 第4条 (用語定義)付き合う

「付き合う」とは、ある人と恋愛関係に基づくパートナーとなることを約束すること(誓うこと)である。一般的に、誓う内容の詳細は明文化されないまま誓いが交わされるが、恋愛法では「パートナー以外の恋愛対象を求めず、パートナーを幸せにしようと努力すること、できる範囲でパートナーの不安や信頼に応えようと努力すること、さまざまな気持ちを共有すること」が暗黙のうちに最低限約束されたものとする。また特殊な事情がない限り、会う、デートをする等、一般的な慣行を実施することも約束されたものとする。

恋愛と性格を考えるハニホー!「付き合う・交際」まとめ より

(恋愛の法律ってなんだ)

どうやらお互いが恋愛関係にあることを約束することが、彼氏彼女になるということらしい。

それにしても恋人という関係性、暗黙の了解が多すぎる

人によって定義が異なる恋人という関係性。どこからが恋人か、恋人に何を求めるかは人によって異なる。にも関わらず、色々と重要な要素は「暗黙の了解」で済ませ、まるでお互いが抱いている恋人像が完全に一致しているかのように恋愛関係の約束を取り付けないといけないのである。

そのため当然恋愛関係が成立したのちに価値観の不一致やらすれちがいが起こり、最終的に人々は出会いや別れを繰り返しながら、とっかえひっかえしたりしているのである。

効率が悪い。

だったら最初から明文化しとけよ、と思ってしまう。

<根暗オタクの主張>

まつようじ
恋愛関係は曖昧な要素が多すぎる。事前に恋人の定義、求める関係性を提示しあった上で、条件が一致する人と書類にサインする形で付き合いたい

 

根暗の思考を読む男
いや、会話すれば気が合うかどうかはなんとなくわかるだろ。コミュ障の自分を正当化しようとするなよ

 

②友達の延長としての『彼女』

恋人の定義は人によって違う。

そう書いたが、学生が恋人を作るパターンは、だいたい決まっている。

出会う→仲良くなる→何回か遊ぶ→付き合う

である。(知らんけど)

社会に出ていない大学生は、まだ将来について考える意識は薄い。だから学生生活をより楽しいものにしたいから、キラキラしたキャンパスライフを過ごしたいから、とかいう理由で恋人が欲しい場合が多い。(たぶん)

記事:オタク大学生が恋活パーティに行ってきた感想

以前恋活パーティーに参加して思ったが、結局なんだかんだいって遊び慣れしてそうな人がモテるんだなあという印象だった。あと顔。

そして多くの大学生は、勉強やバイトといったことはそこそこにこなし、あくまで目の前の『楽しいこと』『気持ちいいこと』のために全力で生きているような気がする。そしてSNSの発達に伴い、学生が求める『楽しいこと』はよりキラキラしたものとなり、内容よりは外面の豊かさを重視する傾向が強まっているように感じる。

悪い言い方をすれば、多くの大学生は目先の快楽を追い求め、より大きな快楽を共有する相手として恋人を求めている。

一方で根暗である自分はというと、超が付くほど遊ぶのが下手である。

もちろん自分も楽しいことは好きだし、出来ることならウェイウェイしていたい。しかし余計な理性や劣等感が邪魔をし、常に考えなくていいことまで考えてしまう。なので普段は基本一人で過ごし、どんな行動にも理由と目的と正しさを自問自答しながら生活している。基本人と遊ぶのは得意ではない。

ではなぜ自分が彼女が欲しいかというと、このジメジメした今の生活を変えたいからである。

変えたいといっても多くの大学生が望むようなキラキラしたものではなく、もっとハードルの低い、意識の低いものを望んでいるのである。

『より生活を楽しくさせたい』ではなく、『つまらない生活をなんとかしたい』という周りと自分のモチベーションの違い。この差がなかなか埋まらない。

自分が恋愛関係として相手に求めているのは、ただ単に自分を恋愛対象として承認してもらえることだけなのである。(とりあえずは)

自分の行動パターンに自分以外の大事な何かを追加したい。別にそれ以上は望んでいないし、あまり高度なことを望まれたくもない。しかし世間的な恋人関係というものは、なんかこうキラキラしていてガツガツしていないといけないような空気を感じる。これがどうも自分に合わない。

自分が求める理想の人間関係は、他人にとっての理想ではない。恐らく自分が望む程度の承認欲求なら、恋人という契約を結ばなくても自分以外の人間は他の方法で満たされるのだろう。しかし自分にはその術がない。

自分がぼっちで生きている間に生じてしまった人と付き合う能力の差。これが埋まらない限り、自分には永遠に恋人ができない気がする。しかし恋人がいたことがないからこの差が生まれているわけで。その能力が欲しいから恋人が欲しいわけで。しかし能力がないからできないわけで……。

根暗の思考を読む男
根暗でも彼女いる奴はいるぞ。お前に彼女がいないのは、単に今まで努力しなかった怠惰の結果では?

 

③他人に好かれようとすることのおこがましさ

異性に好かれるための方法論として、とにかく『積極性』というものが語られることが多い。

とにかく相手に自分の気持ちを示せ! とにかくさりげない優しさをアピールしろ! とにかく声をかけろ! ……みたいな。

しかし頭では理解しているが、なかなか行動に移すことができない。

僕は異性に対してアプローチをしかけようとするとき、なぜか自分の心の中に『おこがましさ』というものを感じてしまう。

まつようじ
好かれるために何かをすることって、結局のところただの自己満足では?

 

とか思ってしまうのである。

自分の行動によって自分に対する相手の好感度が上がることを期待し、計算し、優しくする。あわよくばこれで自分のことを好きになってもらえればいいなと思いながら、しかし下心は表に出ないように注意しながら、思ってもいないことを話す。

そんな行為が、何か汚いもののように思えて一瞬躊躇してしまう。

俺の行為によって相手は確実に喜ぶだろう。俺の視線に相手はイチコロだぜ。そんな自分に自信がある人間ならば、こんなことは考えないのだろう。あるいは相手から自分への好意や関心を感じとることが出来れば、もっと強気に行動できるのかもしれない。

しかし自分の場合、普通に生きていれば異性から興味や関心、ましてや好意を抱かれることはまずない。いつだって好感度0からのスタートである。そして何もしなければ好感度0のままだ。相手は自分のことを特に異性として意識することなく接してくる。恋愛がどうこうなんて考えてもいない。

そんな中で、自分はなんとかして相手に好かれるために努力しなければならない。そこにあるのは優しさでもなんでもなく、『相手に好かれたい』という自分のエゴだけである。そんな汚い自分のエゴのためだけに、わざわざ人を巻き込んでいいのだろうかと考えてしまう。

では恋愛とか意識せずに、下心なしで接すればいいのかというとそうでもない。それにより普通に接することはできるが、そのまま普通に何もなく終わってしまう。そもそも下心以外に、異性と接する合理的理由が今の自分には存在しない。

考えれば考えるほど、『自分は一切関わらない』という行動が最適解のように思えてしまう。すでに自分がいなくても楽しそうにしている人間に、自分ができることなんて何もないと考えてしまう。

根暗の思考を読む男
『自分に自信がない』を回りくどく書くとこうなる

 

④隠しきれない自分の虚無

自分は自分に対する理想が高い。無能な割に。

恋人を作るにしても、自分に恋人がいるに相応しい最低限度のスペック、みたいなものが頭の中で何となく決まっている。全く達成できていないが。

自然体で付き合える関係がいい。お互い無理せずゆるく過ごせる関係がいい。お互いをよく理解し合いたい。そう思ってはいるが、それはあくまで自分がある程度ちゃんとした人間になっている、という前提での話である。

正直なところ現状の自分を、あまり他人には知られてたくないと思っている。

人と仲良くなるためには、相手に自分のことをある程度はさらけ出さないといけない。しかし自分の内面をさらけ出した先にあるのは、どうしようもない根暗な感情と薄っぺらい人生を歩んできた虚無だけなのである。

そんなものを受け入れてもらって好きになってもらおうなんて無理があるし、それは自分の本意ではない。

自分のことをよく知って欲しいが、知られたくないという矛盾。

恐らく解決策は二つある。自分の内面を変える努力をするか、自分の内面を誤魔化す努力をするか。

理想を言えば今後も自分の内面を変える努力をしていきたい。しかしそれを続けたところで、いったい自分が満足いくのは何年先のことなのだろうと思う。

手っ取り早く自分の内面を誤魔化し、偽りの自信と中身でやっていく方法もある。自分に根拠のない自信を持ち、偽りの過去で自分を上書きし、下心を隠す巧さを磨き、白々しい優しさを堂々とする度胸を身に付ければ、案外恋人を作るのは簡単なことなのかもしれない。

しかし自分の中にあるしょうもないプライドというか保守的な感情が、いつも自分の行動の邪魔をするのである。

根暗の思考を読む男
とことん面倒くさい奴だな

 

まとめ

できることなら彼女が欲しい。

しかし世間が求める恋人のハードルに、いつまでたっても自分は辿り着くことができない。そして多くの人が求める理想の恋人像と、自分の求める恋人像は合致していない。

彼女を作るためには積極的なアプローチが必要である。しかし好感度0の状況からのアプローチは、それは単なる自分のエゴでしかない。割り切って自分の欲求のまま強引にいくのもありかもしれないが、その先に自分の理想の自分は存在しないような気がする。

そもそもどう転んでも、自分の理想の恋愛関係は成立することはない。お互いを深く理解し合いたいと思いながら、一方で自分は自分の空っぽで薄っぺらい中身は誰にも知られたくないと思っている。

現状を変えるには、まず自分が中身のある人間になり、自分で自分のことを好きになる努力から始めるべきである。しかし果たしてその作業が完了するのは何年先か。

そうこうしている間にも、年齢が上がるごとに恋愛の難易度も上がっていく。学生の恋愛を1ステージも攻略しない間に、社会人のステージに放り出されてしまう。自分と周りとの差はどんどん開いているように感じる。この差は永遠に縮まらないような気がする。そして自分の意思とは裏腹に、人と関わらない生活に適応している自分がいる。

 

 

彼女できる気がしない。

 

コメント

  1. 以前から読ませてもらってます。僕も大学4年ですが、彼女いない歴=年齢です。なんなら童貞です。この記事読ませてもらって、すごく共感しました。それと同時に、ある意味、自分を客観的に見れたような気がします。ものすごく考えるんですよね。多分彼女を普通に作れる人は、全然考えないんだと思います。恋愛ってもろに自分の感情がエネルギーになるので、もし、自分の思い通りに行かなかった時、ものすごく傷つくのだと思います。でも相手は他人なので、多分恋愛は、多くの場合自分の思い通りにいかないのだと思います。正直それを想像すると、彼女はいらないかな〜って思います。っていうのが僕の最近の考えです。話はそれましたが、いずれにしろ、彼女が作れない人って考えすぎて、リスクを大きく見てしまいがちなんだと思います。もしゲームの世界だったら、告白できるようなシチュエーションでも、実際の状況になるとその後のこととか気にして告白できません。自分が傷ついてしまうかも、と恐れる感情で頭がいっぱいになってれば誰だって一歩踏み出せ無いと思います。で、それを改善するのが、今この瞬間の感情を一番優先して生きることだと思います。今この瞬間、そうしたい!って思ったら、そうすればいいってことです。後先のことよりも優先する事で、より幸せに生きられると思います。長文コメント失礼しました。

    • >>匿名さん
      長文コメント嬉しいです。『今この瞬間の感情を一番優先して生きる』自分もこれは大事なことだなあと思ってはいます。……にもかかわらず色々うだうだ考えてしまう自分は、考える余裕があるだけ彼女を必要としていないのかもしれません。まずは少しずつでも、自分の欲を他人に押し付けられる人間になれればなあなんて考えたりしています。聞こえはかなり悪いですが。