言いたいことがいえない(現実でもブログでも)

ねくら思考
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大学に入ってから1年半が経った。

ブログを始めてから半年が経った。

人と話したりブログの記事を書いたりして、自分の意見を主張する機会はかなり増えた。
なのになぜだろう。このなんとも言えないモヤモヤした感情は。


自己主張が出来ないわけではない

言いたいことが言えない。

そう書いたが、別に自己主張をしていないかといえばそうでもない。
僕はコミュ障だが、割と自分の意見ははっきり言う。

興味のない誘いはきっぱり断るようになったし、好き嫌いもはっきり言えるようになった。

少なくとも、
「割り箸つけてください」
が言えなかった頃よりは、はるかに進歩しているはずだ。

 

しかしなぜだろう。何かがまだ足りない気がする。

まだ言いたいことを言い切れてない気がする。

 

自分を演じている感

「言いたいのにまだ言えてないことは何だろう」

僕はそう自分に問いかけた。

そして過去のブログを読み直した。
そんなに面白くなかったけど全部読んだ。

その結果、一つ答えが出た。

僕はまだ自分の本性を出し切れていない。

 

現実では言えないことを書きたくて始めたブログ。
自分しか知らない自分の裏面を晒したくて始めたブログ。

なのにまだ、当たり障りのないことしか書けてない。

ラブライブの考察記事
アメコミヒーローの考察記事

確かにこれも書きたかったものの一つだ。

しかし、これだけではないはずだ。
それに、本当の自分はブログ上の自分と大きく異なっているはずだ。

本当はもっと性格が汚いし腹黒い

このブログ、まだ個性を出せてない。

 

ついつい見栄を張ってしまう

やっぱり『人に見せる』という時点で、無意識的に自分にブレーキをかけてしまっている気がする。

他人どう思われるか心配。

この感覚は現実でもネットでも同じことだ。

知り合いに読まれているのかもしれない。
女子高生に読まれているのかもしれない。

そう考えると、どうしても守りに入ってしまう。

無難に意見をまとめてしまう。

 

人気のあるブログを読んでいると、この『守りに入ってる感』はあまり感じない。

言いたいことを言っているように感じるし、やりたいことをやっているように感じる。

それが時に気持ち悪くも感じるが、周りを気にせずに突き進んでいる姿は一方でカッコよくも感じる。

『周りを気にせず自分を素直に表現する』

これが人気ブログに共通する一つの要素なのだと思う。

僕も少しは見習いたい。

 

僕は誰に気を遣っているのか

このブログは『ねくおた』という名前で運営している。(根暗オタクの略)

根暗オタクである僕が、内面に秘めたものを吐き出したくて作ったブログだ。

自分の主張を多くの人に共感してもらいたい、アニメや映画の感想をとにかくぶちまけたい。

そういう想いでこのブログを書いている。
要はただの自己満足だ。

他人に読んでもらうのは、自分が満足するための手段であって目的ではない。
自分のために書いているのに、どうして他人を気にし過ぎる必要があるのか。

最近はそう思うようになってきた。

 

これから

今後はもっと、自分の思ったことをストレートに書こうと思う。

それが結果として、他人に読んでもらえるようなブログに成長するのだろう。

しかし、だからといって過激にすればするほどいいのかといえばそうでもない。

必要以上の過激さは、逆に『過激な自分』を演じている感につながるし、それはそれで本当の自分とはいえない。

『素直な自分を表現する』

これは中々難しい。そもそも素直な自分ってなんだ? 何が自分の本質なんだ?

……考えれば考えるほどわからなくなってきた。
これだから僕は、いつまでたっても根暗のままなのかもしれない。

 

……まあとにかく、この記事では『これからもっとぶちまけていきたい』ということが書きたかった。

僕が思ったことをぶちまけて満足する。
それを全国の根暗オタクが暇つぶしに読む。

そんなブログにしていけたらと思う。

 

その第一歩として、まずは自分の頭に浮かんでいるものをストレートに書こうと思う。

些細なことだが、これが今後の成長に繋がるような気がするから。

やはりまずは一歩を踏みださないことには始まらない。

この一歩は小さい一歩かもしれないが、このブログからすれば、とても大きな一歩になるだろう。

 

よし、書こう……。

……

 

 

 

 

 

 

おっぱい

 

なんかスッキリ!

 

これからもこのブログをよろしくお願いします。

 

カテゴリー:ねくら思考

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