振られた

ねくら思考
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こんにちは。

昔好きだった知り合いがダメ男と付き合っているけど別れられないという話をしてきたので、意を決して好意を伝え、愚痴を引き出しつつ距離を詰めることに成功するも、肝心なところで意思が曖昧な相手を押し切るという行為に躊躇し、相手が別れるまで待つという理性的判断をするもそれにより連絡が途絶え、馬鹿真面目に数ヶ月待ったけどその間にダメ男に惚れ直したようで、最終的に遠回しに振られた男、まつようじです。

 

まつようじ
誰か俺の存在ごとなかったことにしてくれ

 

 

自分の感情を相手に伝えることへの恐怖心

結局世の中は、我儘な奴が一番得をするようにできている。

金に執着している奴が金持ちになるし、欲望に忠実な奴の方がモテる。

他人に優しい人に限って、自己中心的で思いやりのない人を好きになってしまう。依存してしまう。

ムカつく一方で羨ましい気持ちもあるが、ならお前もそうしろよと言われても、真似できる気がしない。

別に自己中心的であることは必ずしも悪いことではない。時として他人の役に立ちたい、必要とされたいと願う人の心の支えになることもある。時と場合によるが、自分の欲や感情を主張することは、結果として相手にとってプラスに働くこともある。

しかし私は、異常なまでに自分の感情を相手に伝えることができない。

 

今回振られたケースもそうだった。

思い返せば過去に何度も距離を詰めるチャンスがあったのに、私は色々と理由をつけてその機会を無駄にした。

ダメ男と付き合っているという事実を知り、今になってようやく決心して距離を詰めた。

行動した当時の主観としては、それは正義感に基づいた行動のつもりだった。悩んでいる相手を解放したいという気持ちが一番にあった。その行為が期待されていると勝手に察した。

しかし、今思い返すと動機の本質は別にあったように思う。

ダメ男から別れさせるという口実が生まれたことで、自分の感情を誤魔化すことができる。あくまで理性的な対応で、相手と距離を詰めることができる。

行動を起こした一番の理由は、そんな情けなくて弱腰なものだったと今になって思う。

 

今回の自分の一連の行為は、理性的に振り返れば何の間違いもなく、正しかったと思う。最後まで誠実で、筋が通った対応をした。

しかし感情の面から見ると、自分にも相手にも不誠実だった。

素直に自分の感情を伝えればいいだけの場面で、私は理屈に頼ってしまった。

自分の行為が理性的に正しいか考えているときの自分は、相手ではなく自分を安心させようと説得していた。相手のことを考えているようで考えていなかった。

少なくともダメ男の方は、自分の感情に誠実であり、そして相手に対して感情で向き合ってはいたのだろう。たとえその行為が理性的に間違っていたのだとしても。

まつようじ
とは書いたけど、全部自分の勘違いだったらそれはそれで消えたくなるな

 

恐怖から自分の感情を出し切れなかったケースは、今回だけではない気がする。というか異性絡みは大体これで失敗している気がする。

少しでも相手から拒否の空気を感じると、それ以上は自分から踏み込めなくなってしまう。これ以上自分は存在してはいけないような気がしてしまう。

拒否の中には本当に嫌な拒否と、受け入れる前段階の戸惑いとしての拒否反応があるらしい。後者の拒否を乗り越えて関係を深められるのは、相手の気持ちを察することができる人間と、相手の気持ちを考えずに押し切れる人間だけだ。

もう一押しすれば上手くいったケースもあったような気もするが、それも押したことがないのでよくわからない。

一度踏み込めなくなれば、もう自分が相手に関わる正当な理由を理屈として構築できなくなる。そして距離を置くどころか関係性そのものを破壊してしまう。

そしてまた振り出しに戻る。

 

割と好意はストレートに伝える方だが、その裏では何重にも保険をかけている。極限まで理性で制御している。

拒絶されても自分がダメージを追わない距離感を保ち、相手の反応を考察し、自分の正当性を証明してから感情を出力している。

しかしそれでも感情を出すと、自分の中で何かが狂い始める。

恐怖感だけでなく、そこには自分への嫌悪感もある。

例え自分の感情が受け入れられたとしても、なぜかどこかで違和感や嫌悪感が生じてくる。

なんでなんだろう。よくわからない。

人と分かり合いたくて異性と関わろうとしているのに、分かり合うほど自分の感情をさらけ出す必要に迫られ、恐怖や自己嫌悪が生じ、そして自ら関係を破壊したくなる矛盾。

根本的に何かを変えない限り、自分は結婚どころか誰とも仲良くなれずに死ぬ気がしている。

 

 

回避性

自分が他人に対してとっている行動は、全て自分をさらけ出すことへの恐怖が原因である。

そう自覚したのは、この本を読んだことがきっかけだった。

回避性パーソナリティ障害。

別に自己診断で自称する気もないし当てはまらない部分もあるが、心当たりは多くあった。

幼少期の環境が原因とも書いてあったので、改めて自分の過去も振り返ってみようとは思った。

感情を出すのが怖いと書きつつ、そもそも自分の感情が何なのかすら良く分かってない部分もある。

 

最後に

こうやって黒歴史をネットに晒して自分の感情を辱めることで正気を保とうとするあたり、自分でも重症である自覚はある。

ダメ男の件は間接的にダメ男と聞いただけで、知り合いでもないし実際のところどの程度ダメなのかはよくわからん。自分が押し切った方が幸せにできたかもよくわからん。そもそも押し切れたかも知らん。

結果だけ見れば、結局自分は何も行動しない方がよかった。必要とされてもいないのに、よくある話に自分が勝手に過剰反応しただけだったとも思える。真実はよくわからん。

よくわからんし気にくわんが、幸せにはなってほしい。

 

以上。

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