ハーレムファンが抱える矛盾。それは、『主人公のことは嫌い。だけど推しヒロインと結ばれて欲しい!』という感情。
この気持ち、共感できるようなできないような……
ハーレム作品ファンの生態
少し前、『ニセコイ』が完結した。
アニメは1期しか観ておらず、漫画もジャンプでたまに読む程度だったけど、ファンの反応だけはネットでいつも観察していた。
ハーレム作品ファンの反応。これが見ていて割と面白い。
『ニセコイ』に限らず、ハーレム作品が好きな人には、推しキャラというものがいるらしい。作品内に数多くいるヒロイン。その中で自分の好みのキャラを見つけ、そしてその子を応援しているのだ。
ネット上では、そんな推しキャラを持ったファンたちにが、自分の推しキャラの魅力を語りあっている。
自分の推しキャラが主人公といい感じになれば
「○○ちゃんルートキタ!!」
と喜び、
逆に推しキャラ以外が主人公と近づけば、
「はあ? ○○のどこがいいの?」
と罵る。
ときに推キャラの違いでぶつかり合い、不毛な議論を繰り返す。
推しキャラを愛し、他のキャラのファンを敵視するファンたち。
そんなファンたちだが、ある一点では、一致団結してまとまることがある。
それは、主人公批判だ。
「やっぱ〇〇クズだな」
「都合の悪いときだけ難聴かよ」
あれだけ意見が分かれていたのに、主人公のことになると途端に一つにまとまり始める。
主人公が鈍感な態度をとれば叩き、逆に何かを主張しても叩かれ……。
そんなファンたちの様子を、僕は遠目でニヤニヤ笑いながら見ていた。
ファンが抱える矛盾
ファンが抱いているハーレム作品に対する気持ちは、主に先ほど述べた二つだろうと思う。
1.推しヒロインの恋愛を応援したい
好きな人が頑張っているのだから応援したい。
まあこの気持ちは分かる。
僕も少しだけ『ニセコイ』のマリーを応援していた時期があった。
2.主人公に死んで欲しい
この気持ちも良く分かる。
多くの場合、ハーレム作品の主人公は嫌われている。
そもそも、まともな性格をした奴がハーレムという状態を維持するとは思えない。
そして何より羨ましい。
モテモテでエロい展開もあってイケメンで……
相手が2次元であっても、嫉妬のような感情は芽生えなくもない。
1も、2も、どちらもまあ共感することが出来る。しかし2つを合わせたとき、何か違和感を感じないだろうか。
主人公とヒロインが結ばれて欲しい。だけど主人公は嫌い。
これはおかしい。矛盾している。
現実で例えるなら、好きな女の子と嫌いな不良の恋愛を応援しているようなものだ。
現実ではまずありえない心理状態だろう。
ネットで書かれていた1の感情と2の感情は、もしかすると別人によるものなのかもしれない。いや、ハーレム作品好きの人でこの矛盾を抱えている人は多いと思う。僕も一瞬そうなりかけた。
嫌いな奴との恋愛を応援する。これはどういう心理なのだろう。
恋愛が成就してヒロインは幸せになれるのか
ファンはヒロインの幸せを願っている。これは間違いない。
しかし、僕はそんなファンの皆さんに問いたい。
主人公と結ばれて、ヒロインは本当に幸せになれるの?
何となく人々の共通認識として、
恋愛成就 = ハッピーエンド
みたいなものがあるように感じる。
しかし、本当にそうなのだろうか。
多くのハーレム主人公はヒロインの気持ちに鈍感である。逆に鈍感でないと、ハーレム状態を維持することが出来ない。
そんな主人公が、果たしてヒロインを満足させることが出来るのだろうか。
鈍感な主人公が、ヒロインを傷つける様子が容易に想像できてしまう。
さらに浮気の心配もある。作中であれだけモテた主人公だ。交際を始めたからといって、女が寄ってこなくなるとは思えない。
さらにラッキーエロの問題もある。主人公に浮気の意思がなくても、不可抗力的に呼び寄せてしまうのだからどうしようもない。
……若干話が脱線したが、要はヒロインは主人公に振られた方が幸せじゃないの? とういうことが言いたい。
ファンが求めるヒロインの幸せ
ファンはヒロインの幸せを願っている。
そう書いたが、その意味は現実世界での『幸せ』とは意味が異なっているような気がしてきた。
恐らくだが、多くのファンは上に書いたような『長い目で見たヒロインの幸せ』は意識していないのだろうと思う。
言ってしまえば、完結したときに幸せだったらそれでいいのではないだろうか。
自分が観測しているときだけ幸せでいればそれでいいと、無意識的に考えているのではないだろうか。
だとすると、『主人公のことは嫌い。だけど推しヒロインと結ばれて欲しい!』
これは矛盾でも何でもなくなる。
主人公は嫌い。死んで欲しい。それはそれ。
ただ、主人公がウザいとかキモイとか関係なく、ただヒロインの夢が叶うところが観たい。
その先ヒロインが幸せかどうかは関係ない。だってどのみちそこから先は観測出来ないのだから。
『二人は幸せに暮らしましたとさ』 その一言があればまあ納得。主人公とその後どうなるかは妄想で補う。
……このような思考をしているのであれば、一応のつじつまが合う。
ハーレム作品の理想の終わり方とは
こうして考えていくと、ハーレム作品の理想のラストというものがなんとなく見えてくる気がする。
要は、
・とにかく自分の好きなヒロインに幸せになってもらいたい
・将来的に上手くいかなそうでも、最終回の時点で幸せだったらOK
この二つの条件を満たしていれば、ファンはある程度納得いくのだろう。
しかし、ファンによって好みのキャラは違う。一人のヒロインが報われれば、もう一人のヒロインは報われなくなってしまう。
将来的にはクズ主人公にフラれる負けヒロインの方が幸せなのかもしれないが、そんなことは関係ない。物語終了時点での幸福度これがとにかくファンの満足度を左右するのだから。
……だとすると、ベストなエンディングはただ一つ。みんなと結ばれるハーレムエンドしかないのだろう。
ハーレムで主人公がみんなを平等に愛する! これでみんな幸せ!
これなら、ファン同士の争いもたぶん生じない。
さらに言えば、ヒロインは全員幸せで、主人公だけ不幸ENDが、主人公への嫌悪感も和らげられて最高なのだと思う。
例えば、
・ハーレムエンド! だけどヒロインを養うため、主人公だけ労働地獄!
・ハーレムエンド! だけど主人公は死亡! 一人一台主人公のクローンを支給!
・主人公意識不明の重体! 大量の保険金! ハーレムエンド!
とか?
いやいや何かがおかしい。それなら、そもそも『嫌われない主人公』が成立すればいいのか。
では、嫌われない主人公とは何だろうか。
男らしさ?
優しさ?
顔の良さ?
でも、あまりにも超人過ぎると読者が感情移入しづらくなってしまう。そして、ラストまでの物語の展開が難しくなってしまう。
理想を言えば、
主人公がクズじゃなくてカッコよく、かといって超人過ぎない普通の学生で、主人公が鈍感でハーレムになっているのではなくハーレムという状況に至るまでの必然性があり、主人公がヒロインのために様々な犠牲を払うも、最終的にはそのハーレムに至るまでの必然性が解消され、それにより各ヒロインが抱える悩みも全て解消され、その勢いで主人公が全員のヒロインを平等に愛し、それを各ヒロインは平等の愛で受け止め、ヒロイン間による格差が生じず、幸せなハーレムライフが永遠に続いていくかのように終わる
というのがベストなのだろう。
それを満たすには……(絶望)
結論
ファンの気持ちを理解するのは難しい。
そして、ハーレム作品を生み出すのはもっと難しい。
作者の皆さんを心から尊敬します。
ニセコイ オフィシャルファンブック トクレポ (ジャンプコミックス)
画像:©Naoshi Komi/SHUEISHA
コメント
たまたまこの記事を見つけて読んだのでコメントだせて頂きます。
私はハーレム作品が好きなのですが、それは好感の持てる主人公が「ヒロイン(であるだろうと読者に思わせるような登場をした)キャラ全員」と結ばれるED、あるいはEDよりも後にそういう未来もあるのでは…と思われるEDが理想だったりします。
今現在のハーレムラノベ、ハーレムアニメ的なニュアンスで「ハーレム」という言葉が使われるようになったのは、私の知る限りだと2000年代後半に入ったあたりからなので、それ以前から「ハーレム作品」が好きだった人にはこの記事に該当しないようなタイプも多いと思われます。
コメントありがとうございます。僕もセレモニーさんの理想にかなり近いです。
この記事では矛盾を抱えた一部のファンだけを取り上げて考察したのですが、確かに年代によってハーレム作品の傾向やファンの考え方も変わってきそうですね。
ハーレムものをうまく作るのは難しい。
今はハーレム作品批判する方が通っぽい、俺は違うんだ的な世間の空気もある気がするので
より難易度が高くなってるイメージあります。
世の中に作品が溢れている今、目が肥えたファンを納得させる作品を作るのは大変そうですよねえ。
ハーレムものに限らず。