人に近づくアンドロイドとアンドロイドに近づく人

小説
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前回に引き続き『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に関する内容です。

作中でも、そして現在でも、めざましい進化を遂げているアンドロイド。

アンドロイドの進化が行き着く先には何があるのか?

考えてみました。


前回の記事:アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 

人に近づくアンドロイド

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の作中では、人間そっくりの外見で、そして人間と同じように会話をするアンドロイドたちが登場していた。彼らはあまりにも人間に似せて作られ過ぎているため、作中の人間がアンドロイドと人間を区別することはもはや不可能になっていた。

人間にも人間に見えてしまうアンドロイド。現実世界でそんなものが生み出される日は来るのだろうか?

恐らく来ると思う

思い出して欲しいのが、以前放送されていたバラエティ番組、『マツコとマツコ(日本テレビ)』である。

マツコ・デラックスを基に作られたアンドロイド、マツコロイドが様々な企画に挑戦するという内容の番組だったが、このマツコロイドがよくできていたと思う。

マツコロイドが街中に出現するというドッキリがあった。そのとき、何も知らずにその場に居合わせた人々は、マツコロイドをマツコ・デラックス本人であると錯覚したのである。(時間にして数秒だが)

SFに限らず現実世界のアンドロイドでも、人と見間違えるくらいのレベルまでには外見的進化を遂げているのだ。

僕は以前にマツコロイドと同じ方法で作られたアンドロイドを実際に見たことがあったのだが、あまりのリアルさに鳥肌が立ったのを覚えている。
美人アンドロイドが僕に目を合わせてきてドキドキしたくらいだ。

このように、現実世界でも着々とアンドロイドは進化している。

そして進化しているのは外見のリアルさだけではない。アンドロイドの知能も、近年発展がめざましい。

特に今、注目すべきはgoogleの人工知能開発だろう。

人工知能グーグル囲碁の衝撃    (NHK NEWS WEB)

遂に人類は【ボードゲーム界最後の砦】とされる囲碁でさえ、人工知能に敗北を期してしまったのだ。

上のニュースで気になるのが【ディープラーニング】と呼ばれる技術。何と最近の人工知能は、与えられたデータを使って自力で学習する能力をもっているらしい。

恐るべし、人工知能。

作中世界に登場した、何から何まで人間そっくりなネクサス6型アンドロイド。そんなアンドロイドが現実世界に生み出される日はそう遠くないのかもしれない。

 

人とアンドロイドを区別する最後の砦

外見の面でも知能の面でも、アンドロイドが人と同等(もしくはそれ以上)の能力を得る可能性があることは十分に感じられると思う。

では、アンドロイドはいずれ完全な人間になることも可能なのか?
……そう言われると、首を傾げたくなる。

なぜなら人間とアンドロイドには、未だ超えられていない絶対的な壁があるからだ。

それはである

 

心。それは抽象的で曖昧な概念。

人間には心があって、アンドロイドには心がない。
では心とは一体何なのだろうか?

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の前半では、この心の有無が人とアンドロイドを区別する基準になっていた。

人は他者に共感することは出来るが、アンドロイドはそれが出来ない。

他者への共感能力という唯一の指標を基に、主人公リックは自分の獲物であるアンドロイドを捜索するのである。

人とアンドロイドの違いは心の有無。厳密に言えば共感能力の有無。

しかし、作中の後半では上に述べたような考えを否定するかのような出来事が次々と発生する。

アンドロイドから感じられる、存在するはずのない心

ただの物と認識していたアンドロイドに対する同情の気持ち

そして区別出来なくなる人間とアンドロイド……

 

アンドロイドに心というものが存在してしまったとき、もはや人間とアンドロイドを区別するものは何もなくなってしまう。作中で描かれていたのは、アンドロイドに心が生まれるか生まれないかの瀬戸際の世界だ。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』はあくまでSF。心を持ったアンドロイドなんて誕生するはずがない。

そう考えて思考を放棄してしまうのは容易い。しかし、もう少し考えてみてほしい。

●人の脳を機械で完全に再現したとき、そこに心は存在するのだろうか?

●人の脳は電気信号のやりとりによって機能している。つまり、基本的な思考の構造はアンドロイドとさほど変わらないのだ。そんな人間の脳に、果たして心なんてものは本当に存在するのだろうか? 心があると錯覚しているだけなのではないだろうか?

 

アンドロイドのことを考えていると、なんだか人間自体にも疑いを向けたくなってしまう。

 

アンドロイドに近づく人

アンドロイドはどんどんと人間に近づいている。そして、この逆も言える。

人間もどんどんアンドロイド化しているのだ。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の登場人物たちは、【共感ボックス】なる奇妙な箱を用いて他者と感情を共有していた。

そして【情調オルガン】なるものを使用して自分の感情を思い通りにコントロールしていた。

現代を生きる我々からすれば、実に奇妙な行動である。

しかし登場人物たちの行動が、我々の行動と全く異なっているかといえばそうではないと思う。現代の人間の行動だって同じくらい奇妙だ。

  • ツイッターやLINEなど、わずかな情報だけで感情を共有し合う人々
  • 学校や会社で常に時間に追われ、死んだ魚のような目をした人々

科学技術、インターネット技術の発達によって、人の思考能力、感情移入能力は低下いているような気がする。(アンドロイド化している気がする)

作中に出てくる登場人物たちは、そんな現代の我々の状況を暗示しているような気がしてならない。

 

アンドロイドと人とのこれから

人に近づくアンドロイドとアンドロイドに近づく人。

この傾向がこのまま続いたとすればどうなるのだろうか。

もしかすると、人よりも人らしいアンドロイドが登場するかもしれない。

もしかすると、アンドロイドよりもアンドロイドらしい人が登場するのかもしれない。
(こちらに関しては既に存在しているかも)

 

アンドロイドはいずれ人よりも美しくなる。そして、人以上に高い知能を持つだろう。

そんなアンドロイドが人間のような心を持ったとき、果たして我々人間にはどのような存在価値が残されているのだろうか。

人として。


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